いわゆる「今日は帝劇、明日は三越」のキャッチ・フレーズが、当時の東京市民の心を動かし、第一次大戦の大好景気、サラリーマン層の増大、山の手線外側への郊外居住地、オフィス賃貸の発展が続きます。
しかしそうした夜間の遠心力に対し、昼間の求心力はどこまでもこの三菱ヶ原から出発した丸の内オフィス街から日本橋周辺のビスネス街であり、そこには象徴としてロンドンのロンバート街とトラファルガー.スクェアの模造品が掲げられていたわけです。
こめ形が、戦後はさらに規模を大きくしたが、しかしその基本原理は先の形がますます貫かれていきます。
戦後の交通機関として地下鉄(交通営団)が大きな比重を占めてきます。
この営団地下鉄の全線(さらにそこにいま郊外私鉄が連結乗り入れをする)はすべて日比谷・銀座・日本橋・大手町の1平方キロ前後の区域を抜けて走ります。